入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

横曽根・青木地域の変遷ー3

横曽根・青木地域は南は荒川①、東は芝川②、西は緑川③(旧6ヶ村用水)に囲まれ、南北に長い三角形をなしたほとんど起伏のない沖積低地帯です、現在は東京都北区に属する浮間地区④も2-1図・2-2図に見るように1926年(大正 15年)までは横曽根村の一大字でした

2-1図に見るように荒川は浮間村の南に曲流し、東京都板橋区小豆沢村と境していました、浮間村の北部の横曽根・飯塚と接するあたりは、沼沢地や菅原の原野⑤となっており、その北方には東西に微高の自然堤防が続き、またこれに並行して、江戸期に築造されたと思われる大囲堤といわれた荒川水除堤が連なっていました、『武蔵国群村誌』(明治8年刊)によれば馬踏み3.6m、堤敷30m弱であったといいます、そして、この堤防の北に通称「白子みち」といわれる東西に延びる道があって、これが川口町・戸田へ通じる村の幹線となっていました

また、横曽根地域と戸田の境を南流する緑川沿いにも備高地が南北に発達し、これには幅約2m、堤敷約8mの小堤が連なり、これらの小さい自然堤防に点々と小さい集落が作られていました、地味は「半は黒土、半は粘土、或いは灰白な真土雑ざれり、質宜しからず、水利不便にして時々水旱に苦しむ」(群村誌)というような極めて悪い地質帯でした、標高は0.3mから1.8mしかなく、地下地盤はほとんどシルト層からなっている軟弱地盤帯でもありました