2011-12-09 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 『蕨城(館)は戸田・蕨両方にあったのではー蕨城を考える』-⑥ 戸田には、桃井播磨守直常の子中務少輔直和にまつわる伝承や説話が数多く残されています、神社や寺を建て、耕地を開き道を通し、その開発に多大な功績を残したと言われています、上戸田にある海禅寺や多福院はその開基とされ、新曾の観音寺はその建立と伝えられています また、「戸田御所」「戸田城」などは桃井氏の居城ともされ、「もものい屋敷」「百の井屋敷」などの名称とともに、桃井氏の戸田居住説が今日まで伝承されてきました、しかも、文献的にも「郡村誌」や「新編武蔵風土記稿」(以下、省略して[新記]とします)があり、妥当なものと思われていました しかし、先賢の諸氏の研究・調査によりますと、桃井氏の年譜など他の文献からみて、桃井氏の戸田居住説はかなり疑問がるようです、そして、この疑問を解くことは中世の戸田市・蕨市の歴史に大きな影響があるようです、足利氏・渋川氏・金子氏・荘氏・篠氏などのかかわりが見えてくるようです