2011-10-17 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー217 修験道は、山伏に象徴されるように日本古来の山岳信仰に基づいて発展してきたもので、役小角(えんのおづね)を祖と仰ぐ日本仏教の一派であり、山中の厳しい修行を通じて呪術の獲得を目的としました そして平安時代になり、密教の広まりとともに宗教教団としての体制を整え、鎌倉時代以降大きな発展を遂げ、室町時代にはいると京都の聖護院を本山とする天台宗系の本山派と、醍醐三宝院を本寺とする真言宗系の当山派の2系統に集約されるようになり、江戸時代になってこの2派に制度的に整えられました 埼玉県域では、聖護院門跡である道興准后が文明年間(1469~87年)に県内を巡り、狭山市笹井の観音堂、川越市の最勝院などに滞在したことにより、本山派修験の影響を受けた寺院が建立されるようになりました こうした修験道の信者は檀那と呼ばれ、これらの檀那を組織して修験の霊場である熊野参詣の世話役を勤める修験者を先達(せんだつ)と、また檀那に宿舎を提供したり祈祷を仲介する修験者を御師(おし)と呼びました