入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー213

本法院は嘉永3年(1850年)8月の「当院永記録」のよると、文和元年(1352年)、日祐(にちゆう)の建立とし、その根拠として文和・延文年中(1352~61年)の石塔婆(板碑)をあげています

日祐は永仁6年(1298年)に生まれ千葉胤貞(たねさだ)の猶子(ゆうし)となり、後に中山法華経寺三世となって、下総・上総を中心に堂舎の造営や勧進、説法唱導など日蓮宗の教線拡大に積極的に活動し、応安7年(1374年)に没しています、建立の根拠となった板碑は現在、文和年間(1352~56年)のものは見当たらず、延文2年(1357年)銘の阿弥陀一尊種子板碑が伝存しています

しかし、これらの板碑と建立を結びつけることには多少無理があり、むしろ康安元年(1361年)や永正13年(1516年)の題目板碑の存在が本法院に結びついた資料であると考えられます、また、隣接する宝蔵寺も以前は宝蔵院とあり、やはり日祐の建立とされますが、元禄年間(1688~1704年)には本法院の隠居所となっています

こちらの方には文和3年(1354年)銘の阿弥陀一尊種子板碑があります、なお、後世の写しである文和3年銘の「当寺開闢之写」と称する板本尊が本法院の記録に見え、これらのことから文和年間には本法院の基礎が出来上がったものと考えられます