入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー211

市内には和楽備神社に宝篋印塔の基礎部分が1個体、反花座(かえりはなざ)1個体、塔身部2個体があり、正蔵院に宝篋印塔基礎部と五輪塔空風輪部(くうふうりんぶ)及び火輪部(各1個)、そして宝樹院に五輪火輪部1個体があります

銘文は和楽備神社と正蔵院の2基の宝篋印塔基礎部にあります、和楽備神社のものは高さ14・1cm幅18cmあり、4面にわたって「逆修明○禅尼七分全得 応永十九年十月日」とあり応永19年(1412年)に逆修養供養のためのに造立されたものであることが判ります

もう1基の正蔵院のものは、高さ16・5cm、幅21・5cmです、摩滅や破損が著しく、わずかに応永9年(1402年)の紀年と「道○禅門」の法名しか確認できないのですが、板碑が圧倒的に多いなかにあって、これらの石塔の存在は貴重です

なお、これらは全て安山岩質です、神奈川県の箱根町群馬県榛名山二ッ岳などで採石地が確認されています、埼玉・東京などでは産石地から遠いため、緑泥片岩製の板碑が圧倒的優位を占め、中世石塔の割合は少数ですが、全国的に最も普及したのは宝篋印塔・五輪塔であり、埼玉県・東京都などの旧武蔵国や、同様に緑泥片岩が産出する徳島県のように板碑の造立が盛んな地域は、むしろ例外的な現象であると言えます