入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー204

県内では板碑をはじめとして石塔の造塔には、小代氏や浅羽氏などの武蔵武士が深く関与したことを示すものが50基ほど知られています、残念ながら市内の板碑については、そうした武士が関与したことを示す銘文や記録は残されていませんが、川口市舟戸町善光寺に鶴松殿の死亡にさいして造立された、永仁2年(1294年)銘の板碑が所在しています

板碑は、板石塔婆・青石塔婆とも呼ばれているように、主に秩父地方の荒川沿岸を中心とする地域に産出する緑泥片岩をを材料としています、この石材は薄くはがれやすく加工も容易であるため、産石地を抱える旧武蔵国では大量に造立され、現存するものだけでも埼玉県で約2万基、東京都約1万基、群馬県約3千基などが確認されています

板碑の形態は、薄く成型した石材の頂点を三角にし、その下に二条の切り込みを入れ(無いものもある)、その下の塔身部に信仰の対象である阿弥陀如来や釈迦如来などを表した種子(仏・菩薩を示す梵字)を刻み、供養した年月日や供養された人の法名を入れるのが基本ですが、これに経典から2~4句を抜き出し仏を賛嘆したり教理を表した「偈(げ)」や「光明真言」を添える場合もあります、また、天蓋や花瓶などを伴う例も見られます