2011-09-28 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー198 一方、後北条氏に対抗していた岩付城主太田資正も諸城や砦・拠点を結ぶための伝馬制度を設けています、弘治3年(1557年)4月8日、三保谷郷(比企郡川島町)に伝馬を命じた判物からは、岩付太田氏が伝馬を正確にはいつから設置し、どのような形態であったかは不明ですが、後北条氏との関係からほぼ同時期に設置されていたこともうかがわせます しかし、伝馬は田地の所有者に対する夫役負担であり、百姓にとっては重税であったため、有力者に田地を指し上げることにより役負担を逃れようとした者もありました 河川交通については、蕨は中期入間川(荒川)の近傍にありましたが、武蔵国の水運関係史料自体少なくてよくわかっていません、ほぼ利根川流域に限られていたようです 利根川流域には猿俣(東京都葛飾区)、戸崎(三郷市)、大堺(八潮市)、彦名(三郷市)、鶴ヶ曽根(八潮市)、鷲宮(北葛飾郡鷲宮町)の関があり、太日川の行徳(千葉県市川市)、長島(東京都江戸川区)、そして中期入間川の岩淵(東京都北区)の関が知られています、これらは鷲宮関を除いて江戸湾に近い下流域に位置しています これらが意味するものは、当時関を設置した地頭などの在地領主が関銭を徴収しており、河川交通の活発であったことを示し、それはその周辺地で商品流通が盛んに行われ、重要な経済基盤であったことを示しています