入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー196

さらに下笹目村は中世の佐々目郷の郷域に含まれていること、『鶴岡事書日記』に「法花垣内」「水深」という蕨市内にある地名が見えており、両地名がある地域は、蕨でも古くから開発されたと言われているところであること、南北朝時代の始めに建立された日蓮宗の寺である本法院と宝蔵寺があり、日蓮に関わる伝説などが残されていることなどを総合すると、やはり蕨にも川口市さいたま市戸田市などにあったと同様の古い道があり、それを利用して往来が盛んであったと思われます

蕨周辺の交通網の整備は、戦国時代に入ると後北条氏により独自に行われましたが、室町時代については、交通状況を示す資料も少なく不明な点が多いようです(これも別に、後の項で取り上げ掲示する予定ですが)

数すくない資料の中で「小山氏の乱」の際、関東府軍が「上道」を利用して討伐に向かっていることや、関東公方足利持氏が岩淵関の関銭を造営料として寄付していることなどからすると、室町時代になっても依然として鎌倉街道の「上道」と「中道」、そしてそれを結ぶ「羽根倉道」などが幹線道路としての役割を担っていたことは間違いないようです