2011-09-25 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー195 鎌倉時代には、幕府によって鎌倉街道が整備されていました、鎌倉街道とは鎌倉から諸国に放射状に走る古道のことで、当時は「鎌倉往還」「大道」などと呼ばれていました 埼玉県内には鎌倉街道の伝承をもつ道が多くありますが、特に鎌倉から上信越に向かう「上道」、奥州方面に向かう「中道」、甲信方面に向かう「秩父道」の幹線をはじめ、上道と中道をつなぐ「羽根倉道」などが知られています 蕨にも鎌倉街道と呼ばれていた道があり、蕨(戸田市)→和楽備神社前→三学院前→南に向かい国道17号を横切り錦町3丁目10番の庚申塔がある二股に至り→左に折れて大日本印刷蕨工場前を通り戸田に向かい→惣右衛門(戸田市笹目1丁目)→早瀬の渡し(戸田市)→白子(和光市)方面に向かうというものです、また、そのほかにも幾筋かの道が想像されますが、それは後の項で詳しく考えることにします 『新編武蔵国風土記稿』の下笹目村の項に、村内美女木村から早瀬の渡しに達する鎌倉街道と呼ばれている道があるとあり、この道は中道の枝道と推測されます