入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー194

松山の市は、天正14年(1586年)になると新市が立てられ、翌年には松山城主上田憲定により市掟の制札が出されています、この掟は①喧嘩・口論・押買・狼藉の禁止、②市の日は荷留を解除する、ただし、軍事物資の兵糧・竹は除く、③市で商われる商品は非課税とする、④市へ来た者に質取りをしてはいけない、⑤市の日の商人の争論に奉公人(武士)は介入せず、すべて町人の裁きとする、となっています

これは 中世の市の自治権の確立を意味しており、この時代に同様に後北条氏支配下にあった蕨の市もほぼこれに近い状況にあったと考えられます

このころの蕨の市でどのような商品が取引されていたかは明らかではありませんが、後北条氏の発給の文書から支配下の市で取引された商品には、濁酒・酒・塩あい物・塩・木綿・縞(しま)・ぬり物・炭・薪・麦・大豆などがありました、これらの商品の一部、或いは全部をはじめとして日常生活に不可欠な米や野菜など周辺農村で生産された産物などが取引されたのでしょう

こうして、戦国大名の保護と統制により六斎市は発達して地域経済の中心となっていきましたが、近世に入って商品流通機構が変容するに従い次第に衰微していく市が出てきました