2011-09-22 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー192 それでは蕨の市場圏はどうだったのでしょうか、残念ながら中世の蕨及び周辺の市日を知る史料はありません、中世の市日が近世の市日と一致しているか否か不明ですが、一つの手ががかりとして『新編武蔵国風土記稿』所載の市日から考えてみます 一の日に開かれるのを親市とすると蕨は一・六の日に開市されています、このことから蕨は親市であったことがわかります、そして蕨から3里4方の市をみて見るといくつかの巡回式の市場圏が浮かびあがってきます A郡 蕨ー浦和ー鳩ヶ谷ー川口 B郡 蕨ー浦和ー志木ー与野ー大宮 C郡 蕨ー浦和ー志木-膝折ー白子 D郡 蕨ー越谷ー鳩ヶ谷ー草加(または川口) このような大まかな4つの市場圏から考えると、各市場が重複していることが判ります、また政治・経済の中心であった岩付を中心とした市場圏とも重複し、まさに価格決定・調整伝達が迅速に行われたことが考えられます