入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー191

戦国時代の六斎市の発達には、武蔵国における街道や水運の発達が重要であり、また、見逃してならないことは、特に後北条氏が経済圏の拡大を図り、市や商業の保護を積極的に行っていることです、後北条氏の勢力下の武蔵・相模の両国では76ヵ所の市が知られています

後北条氏関係文書に見られる市・町・宿は68ヵ所にのぼり、鉢形領の秩父地方の場合、大宮郷秩父市)の1・6の日を中心にして、贄川(にえかわ・秩父郡荒川村)の2・7、下吉田(秩父郡吉田町)の3・8、大野原秩父市)の4・9、上小鹿野(秩父郡小鹿野町)の5・10という市日の六斎市が、近接してまとまった市場圏を形成し、商人は巡回していました

また鷲宮周辺や桶川周辺でも同様な条件が想定されています、これらは同じ地域にあるいくつかの市は、ほぼ3里の間隔をもち、1の日に開かれる親市を中心として一個の市場圏を作っていたとすれば、蕨は祭祀圏とは別に岩付から約3里の距離にあり、これらを親市とした市場圏に含まれます

すなわち商人が市を巡回するのであれば、価格決定において相場が一律に保たれ、価格の変動があった場合でも個別の市場圏が重複することにより、遠隔地の市においても情報伝達が容易となり、価格調整が迅速に行われたと考えられます、こうして六斎市の発達がみられるわけです