入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー190

「市場之祭文」の市名に蕨があげられています、奥書には書き継ぎがみられ、前半は天正以前の市名を、後半は天正年間の市名を記したと考えられており、蕨市は早い時期に市立てされたとみられます

近辺の市の成立もはっきりしませんが、浦和の市は、天正18年(1590年)の浅野長吉禁制に「如先々市相立、可商売者也」とあるとおり、この年以前に市立てが行われていたことがうかがわれ、また、同市の市神の石祠の台石に「大永八戊子年十月 天保十三壬寅年十一月 凡今年迄三百八年」の銘文があるが、これは江戸後期のものと思われます

市立当時を裏付ける史料は見当たらないことから直ちに断定できませんが、大永ごろに市が開かれたという言い伝えが残されていたことの証しと云えるでしょう、なお、「武州文書」の市名に浦和の市が記されていないのは、修験者の祭祀圏の相違によるものと推測されます

一方、蕨の市は、いつごろ開かれたのであろうか、蕨城築城の正確な年代は不明ですが、渋川義鏡が関東に下向した長禄2年(1458年)以降と思われ、経済基盤確立のため市が開かれたことは考えられ、根拠はありませんが奥書の筆頭に記されていることなどから、遅くとも蕨城落城の大永年間(1521~28年)までには成立していたと考えられます

近隣の浦和の市が大永ごろに開かれたことを考慮すると蕨の市は、浦和と同時期の成立と考えてよいのでしょう、蕨城落城後も市は存続し、蕨宿の市として近世に至ってさらに繁栄したのです