入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー187

◎ 大窪郷

現在のさいたま市西部の上大久保、下大久保、大久保領家とその周辺と推定されます、観応の擾乱期には足利直義側と尊氏側と目ぐるましく領家職が移動し、一時安保氏の所有となりましたが応永2年(1395年)には上杉氏の所有となっています、大窪郷で特筆される事は地頭方3分の1は岩松氏の所有となっており、応永2年(1369年)7月28日付の大窪地頭方三分一田畠注文が作成されていることです

◎ 赤塚郷

現在の東京都板橋区北西部を中心として和光市の一部を含む地域と思われます、赤塚の初見は、元弘3~建武2年ごろ(1334~35年)に足利直義後醍醐天皇から恩賞としてもらった所領の一つとしてです、直義の死後妻頼子(本光院)の所領となり、頼子の死後姪の渋川幸子(如春)に譲られ、康暦元年(1379年)6月に幸子により夫の2代将軍足利義詮の後生を弔うために京都の鹿王院に寄進されています、以後たびたび押領などの危機があったものの鹿王院領として存続しました

◎ 高埇(たかはな)郷

高埇郷の郷名は、天正18年(1590年)3月21日付の「宥盛授了乗印信」(玉蔵院文書)に「武蔵国足立郡高埇郷浦和玉蔵院」と見えます、また『吾妻鏡』文治5年(1189年)7月19日条に、高鼻和太郎なる人物名が見え、宝徳3年(1451年)9月24日付のさいたま市浦和区本太氷川社所蔵の宮殿銘にて「大檀那高埇左衛門盛影」の名が見え、盛影が当郷の地頭であったことが知られます