2011-09-16 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー186 ◎ 矢古宇郷 現在の川口市東部から草加市西部にかけての地域で、平安末期から鎌倉時代にかけて武蔵武士の矢古宇氏が地頭を勤めていました、また『吾妻鏡』承久3年(1221年)8月7日付で、幕府より承久の乱の恩賞として矢古宇郷司職50余町が鶴岡八幡宮に寄進されています、以後、鶴岡八幡宮領として存続し、応永年間(1394~1428年)には、たびたび年貢未進の問題が起こっています ◎ 鳩谷郷 現在の鳩ヶ谷市の中心部に推定され、鳩井郷とも書かれます、寛元元年(1243年)鳩谷郷地頭職をめぐって鳩谷兵衛尉重元が相論を起こしており、鳩谷氏の本貫地であったことが分かります また、川越市喜多院所在の正安2年(1300年)銘の銅鐘には、「武蔵国足立郡鳩井郷筥崎山」の文字があり、もと筥崎権現社(鳩ヶ谷市桜町旧在、現在氷川社に合祀)にあったことが知られています 、「三芳野(みよしの)名勝図会」によれば、鐘は戦国時代に持ち出され、仙波下深田(川越市仙波)の耕作地から掘り出されたと言います