2011-09-13 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー183 中世における郷は、古代の律令制のもとで編成された郷とは異質なものです、平安時代中期以降、富裕層が自らの経済力を背景に開発領主となり未開地の開発を進め、次第に周辺農民を支配下においていきました そして、新たな開発地は郷・名(みょう)と呼ばれ、開発領主は郷司に任命されて国衙の支配下に置かれるようになりました、一方、開発地が国衙の支配下に組み込まれることに不満を抱くものたちは、京の権門貴族や有力社寺に開発地を寄進して、国衙による徴税を免れ、権門貴族らが領主(領家)となり、開発者自らは荘官となり管理などにあたるという寄進型荘園が生まれてきます また、領家のなかには、さらに皇室や摂政家などにその荘園を寄進することもあり(本所と云った)、この荘園や郷を基盤として開発領主が次第に武装化して、武士の登場をみるのです 武蔵国の開発が本格化してくるのは平安時代後期から鎌倉時代にかけてのことと思われます、しかし、荘園ができる経過や活動などについて確認できる史料がないため詳細は不明です、以下、蕨周辺の荘郷の動向について簡略に見てみます