入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー176

一方、4月25日小田原で編成された浅野軍1万三千人は、秀吉配下の武将浅野長吉・木村重滋と、家康配下の本多忠勝鳥居元忠平岩親吉らに率いられて翌26日に小田原を出発し、翌27日江戸城を占拠し、その後方向を転じ兵を分けて両総に向かい、上総・下総・下野・常陸の諸城を攻略しました

この間、29日には足立郡浦和郷をはじめ、飯塚村外4ヵ村に対して証状を発給し、狼藉を禁止しました、一方秀吉は、長吉らに落城している河越・前橋・箕輪・佐野の諸城の受け取りを命じ、5月3日には鉢形城攻撃を強く指示しました

この段階では、秀吉はまだ岩付城の戦略的重要性と要害堅固なることを自覚していませんでした、この秀吉の命令が長吉・重滋らに到着する以前に、房常諸城の攻略を通して岩付城の重要性を認識していた両者は、秀吉の命を待たずに岩付城攻撃に赴きました

当時、岩付城は城主太田氏房が精鋭三千余騎を率い小田原城に出陣していて、城内には伊達房実・妹尾兼延らが率いる2千人の留守部隊が城を守っていました、浅野軍は5月19日岩付城近辺に到着、翌20日早朝から攻撃を開始しました、攻撃軍の兵数は2万余人でした