入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー172

天正16年正月、八王子城主(東京都八王子市)北条氏照は出陣に際し、郷中に兵糧となる「くゐ物」を残して置かぬこと、非常時には妻子を八王子城内へ入れることを指示しています、兵糧の掌握は籠城時の食糧確保と共に、攻撃側に対して糧道を断つというねらいをもっており、そのために郷中に兵糧などを残した場合は「御法」違反として処罰するとしています、また妻子の城内への入場強制は、人質としての意味をもっていました

兵糧搬入は岩付領でも行われ、氏房は16年正月5日、八林郷の代官道祖土図書助と百姓中に、領内の兵糧を一俵も残さず岩付城に運びこませ、また同日、氏照は入間郡の茂呂大明神(入間郡毛呂山町)に対し、大明神の梵鐘まで供出させ、鉄砲の玉や刀・鑓などの武器の製造材料としました、現在、戦国期以前の梵鐘や鰐口が少ないのは、このときの後北条氏の徴発に原因があるとされています

こうして軍事体制の強化が進められると共に、氏房は岩付領内の寺社に所領や奉納物を捧げて、岩付城の武運長久を祈願させ、神仏の加護にもすがろうとしました、さらに秀吉からの宣戦布告直後の同17年12月、後北条氏はさらに徹底した妻子入城と食糧運び込みを強制し、内山弥右衛門尉に対し12月28日までに妻子を岩付城に移すことと翌年1月5日までに兵糧の運び込みを命じています