2011-08-30 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー169 甲信2国の支配をめぐる両者の戦端は7月から開かれましたが、10月に和睦し、甲信2国の支配は家康に、上州の支配は氏直とし、さらに家康女と氏直の婚姻により両者の同盟を深めました この後氏直は天正12年、厩橋城に戻っていた北条高広を屈服させ、翌年正月、金山城(群馬県太田市)の由良氏、館林城(群馬県館林市)の長尾氏を攻め落とし、さらに真田氏を追って沼田城(群馬県沼田市)も手に入れました、かくして上州の反後北条勢力は駆逐され、同国は完全に後北条の版図に組み込まれました この間中央の情勢は一変し、天正11年4月、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで柴田勝家を破って信長の後継者となった豊臣秀吉は、同年中に大阪城を築き、検地を行うなど全国統一に着手しました、そして関東攻略をめざし、佐竹義重・宇都宮国綱など北関東の反後北条氏の武将らと連絡を保ち、諸将も秀吉に応ずる動きを燃やしていました これに対して後北条氏はその背後の東北有力大名に接近を図り、佐竹氏と結ぶ伊達氏と接触して両氏の離間を図ったり、芦名氏らに接近する一方、秀吉の進攻に備え領国の支配体制強化に努めました