2011-08-28 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー167 氏房の施政の主だったものでは、箕田堤(鴻巣市)の修築、与野郷百姓への入間川の周防・野相・小透の3堤普請、岩付城内警護の戸張番掟の制定、府川郷(川越市)の検地、岩付城下市宿や比企郡井草宿の市の保護、渋江鋳物師の保護、安行の金剛寺(川口市)の寺領争論の裁許と安堵、鶴岡八幡宮への佐々目郷安堵、大相模不動(越谷市)・平林寺(岩槻市)・法華寺(岩槻市)・清河寺(さいたま市西区)などの社寺に、諸役免除や所領寄進・安堵などの保護を行っています 安行の金剛寺は、天正12年3月3日、氏房がその寺領に関する訴えを認め、門前へ公方人(雑事に従った家臣)の立ち入りを禁止しています、こうした例は永禄2年(1559年)10月3日、太田資正による同様の公方人門前立ち入り禁止にもみられます、金剛寺は、岩付太田氏と関係のある中田安斎入道安行が開基となり、太田道灌と非常に関係の深い越生龍穏寺の末寺などの理由で資正の援助を受けていました この争論の裁許は、氏房が岩付太田氏を継いだ直後のことであり、それ以前の北条氏支配時代から起こった紛争に対し、金剛寺が古来からの証文を根拠に、後北条氏の干渉を排除しようとしたものでしょう、氏房は、岩付太田氏との関係が強い金剛寺の訴えを認め、太田資正の証文に従い横合非分の輩の立ち入りを禁止したのです