入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 蕨の歴史ー166

太田氏資の死後、氏政は太田氏の旧例尊重の立場から次男の国増丸を氏資の婿養子とし、天正初年ごろ城主に相当する地位につかせました、国増丸はやがて太田氏当主の通称源五郎を名乗りましたが、天正10年7月8日に死去しました、そのため弟の氏房がその跡を継ぎました、氏房は、北条氏政の次男(一説には3男)で、母は武田信玄の娘です

氏房の岩付への入城時期については定かではありませんが、天正9年から11年にかけてと推定されます、そして、同13年7月故太田氏資の娘小少将と祝言を挙げ、岩付太田氏の名跡を継ぎました、小少将の母である氏資の妻は、氏政の妹であり、両者はいとこの関係でした、この婚礼は氏房に岩付太田氏を継がせるとともに旧太田氏家臣への慰撫と北条家との盟約を明らかにして、領国支配を容易にするものでした

岩付城主となった氏房の家臣団は、旧太田氏の家臣と後北条氏の家臣とが混在していました、それらの中の重臣が奉行人となり、彼らを通じて氏房は命令を発しました、まず、天正11年7月28日、井草郷の棟別銭催促を行っています、後北条氏の税率はおおむね4公6民といわれ、岩付領下も同様であったと思われ、農民の負担は軽いものではありませんでした