入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー164

永禄7年9月7日、太田氏資は家臣の内山弥右門尉に対して芝郷内沼尻と柳崎の原地を所領として与えました、これは7月23日に氏資が父資正らを追放した際に、内山氏が氏資についたことへの論功行賞と考えられます、前述のように家臣団の動揺を抑え、氏資による支配体制を再編し確立する意図をもって行われたものでしょう

翌年9月17日には、春日摂津守を通じて芝郷の棟別5軒分を免除しています、つづいて翌月24日には原地3貫文などを与えています、氏資家臣団の詳細は明らかではなく、また限られた残存資料から推測の域を出ませんが、度々の恩賞は内山氏が有力家臣であったことをうかがわせます

太田氏資の死後、後北条氏は12月に内山に対し、氏政の家臣笠原康明を通じて氏資の証文にある原地をはじめとする所領を安堵しています、このことは、内山氏が後北条氏家臣団に編入されたことをうかがわせるものであり、この例からも旧岩付太田氏家臣団の所領を次々に安堵し、家臣団の再編を実施していったことが判ります

いずれにせよ内山氏は、芝郷と柳崎の所領を太田氏から後北条氏まで一貫して安堵されており、蕨周辺を本拠としていたことが確かめられる武将です