入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー156

後北条氏による検地は、すでに永正3年(1506年)に北条早雲によって相模国西郡宮地(神奈川県湯河原町)で行われたことが知られていますが、それ以後、支配領域の拡大とともに氏綱・氏康・氏政の歴代当主により実施されてきました、特に天文10年(1541年)に氏綱から家督を継いだ氏康は武蔵進出の足場をより強固にするため、税制の改革、検地の実施、そして『小田原衆所領役帳』の作成など領国支配の確立に向けて諸政策を積極的に行いました

武蔵国内の検地は、弘治元年(1555年)に入間郡比企郡高麗郡の広い範囲で実施され、以後、永禄から天正年間にかけて各地で行われたことが現存する文書や記録からうかがうことができます

蕨周辺では、天正2年(1574年)の「北条家朱印状写」のなかに検地を実施した記述がみられます、その内容は、「先年の検地の際に保正寺の寺領の一部が後北条氏の直轄領に混入したので、その分に相当する一貫二百文の土地を、寄進という形で寺に返す」というものです、保正寺は、鳩ヶ谷市桜町法性寺のことであり、「先年の検地」がいつ実施されたかはっきりしませんが、太田氏資の戦死にともない、岩付領であった当地域が後北条氏支配下に組込まれた永禄10年(1567年)ごろの時期と考えられます