2011-08-16 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー155 この間に、氷川女体神社(さいたま市緑区)では、大檀那であった太田資正の武運長久と戦勝を祈願して、大般若経(だいはんにゃきょう)の真読(しんどく・経本を省略せずに全部読むこと)が、僧奝芸(ちょうげい)によって行われました この僧は河越の仙波中院の僧侶でしたが、河越が後北条氏の支配下に入った後は氷川女体神社に来住し、太田資正の外護を受けていたのです、彼は大般若経の真読に際して、一巻ごとに巻末や包紙・表紙などに識語(書き込み)を残していますが、この中には当時の関東の諸将の動静や戦況をうかがうことが出来るものもあります その中から、蕨市域やその周辺地域に関連するものを年表風にまとめてみますと、次のようになります ・永禄5年正月ー北条氏康が太田資正退治のため下足立に出陣する ・同年12月1日~2日ー蕨・篠目(佐々目)が焼失する ・同年2月2日ー北条氏康が足立に出陣し、篠目に放火する ちょうどこのころは、前年の6月に上杉政虎(後の謙信)が関東より引き上げてきたことにより、後北条氏が再び勢力を盛り返し、太田資正の勢力範囲であった足立郡南部への攻撃を開始した時期にあたります、従って蕨周辺は、まさに戦乱の渦中に巻き込まれていたのです