入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー150

伊豆国支配を確立した後の明応4年9月、早雲は小田原城(神奈川県小田原市)を攻め落とし、相模国進出を果たしました、以後、早雲はこの小田原城を拠点としてその勢力を拡大し、永正13年(1516年)にはついに三浦氏を滅ぼし、相模一国をも支配下とすることに成功しました

この間においても、山内・扇谷両上杉氏の対立・抗争は、依然として各地において繰り広げられていましたが、永正2年ようやく山内上杉顕定と扇谷上杉朝良との間に和議が結ばれたため、これ以後両上杉氏と直接対決していくこととなりました

相模一国をその勢力下におさめた早雲は、武蔵進出をめぐり山内・扇谷両上杉氏と対立しましたが、永正16年に伊豆国韮山で88歳の生涯を閉じました、早雲の跡を継いだ氏綱は、本格的に武蔵進出を目指し、両上杉氏を牽制するために古河公方との連携を企て、大永元年(1521年)に娘を古河公方足利高基の子晴氏に嫁がせる一方、江戸城(東京都千代田区)攻略に取り組みました

当時、江戸城には扇谷上杉朝興がおり、道灌の孫にあたる太田資高が家臣としてこれに仕えていました、この資高が、江戸城を狙っていた北条氏綱に内応したのです、この背景には、道灌暗殺以来の扇谷上杉氏に対する恨みがあったとも云われています、大永4年正月、氏綱との合戦に敗れた朝興は、江戸城を放棄して河越城に逃れ、以後ここを拠点として活動することになりました