入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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東町裏遺跡・大字石神字東町裏1265-1他地点調査 続

この遺跡の位置は南方向より入り込む大きな樹枝状の侵食谷の最深部分にあたります、東に分岐する谷と中川低湿地より東方向に入り込む侵食谷最深部に挟まれた台地上にあります、今回の調査は南側の東京外環自動車道建設に伴い埼玉県埋蔵文化財調査事業団が実施した新町口遺跡(現東町裏遺跡)に続く第2次調査です

今回の調査区は、全体的に南西部分から北東部分に向って傾斜しており、この中に住居跡1軒、土坑29基、土壙1基、柱穴群5基、柱穴、溝状遺構3条、井戸1基が検出されました、旧石器時代縄文時代、中・近世にわたる遺跡です

旧石器時代の遺物であるナイフ形石器・ハンマーストーンが新町口遺跡(第1次調査)と同じように出土し、時期は少しずつずれますが、周辺の赤山陣屋跡遺跡、木曽呂遺跡、ト伝遺跡、叺原遺跡でも石器集中箇所が確認されています、これら旧石器時代の当遺跡周辺は台地部肩部や斜面に、綿々と遺跡が継続されていた事が判ります

縄文時代は主に後・晩期の住居跡1軒、土坑19基、柱穴群5基、柱穴が検出されています、外環自動車道を挟んで存在する石神貝塚遺跡の集落の北側一部とも考えられます、地形的にも同じで、貝塚中心部分より100m程しか離れていません、石神貝塚は最近の調査では、加曾利B式期に形成されたと思われる環状盛土遺構が想定されています

この石神貝塚の集落は今回の調査の部分までが範囲ではないかと考えられ、中心に広場、環状盛土遺構・祭祀場、貝塚、住居跡・土坑群と生活の場とそれ以外と場を分け、縄文人の考えを反映した集落であったと思われます、東町裏遺跡は、このような集落の北側部分であるため遺構数や遺物が少なく、柱穴群や土坑が多かったのはないかと思われます